山の見えるところは楽しい、子供の頃 (ころ)の山、季節による木の色の変化、空気が澄 (す)んでいるときの尾根が見える山(遠くの山や近くの山が見えるところは楽しい、雲がかかった山、夕日などで紫峰となった山)
「近くの山」
1 本 1 本木が見えて
生きてる山を感じます
これが私の原(げん)風景
「遠くの山」
うっすら墨絵(すみえ)の山見えて
登ったことを思い出す
澄んだときには双眼鏡で山肌を
「55 回登った山」
今でも場面を
思い出し
1 生楽しむ心のなかで
<はじめに>
幼少の頃 (ころ)住んでいたところは近くに低い山がありました。 神社の石段を登って父がその山に連 (つ)れて行きました。 そばの崖 (がけ)に生 (は)えていた裏白 (うらじろ)というシダ植物を教えてもらいました。 寝る前におしっこを嫌 (いや)がる私を母が山の上に見える星は見ている鬼 (おに)さんの目よ、早くおしっこをしなさいと言ったこともあります。 その星は宵の明星 (よいのみょうじょう、金星)だったのでしょう。
小学生の時は平和の塔のある平和台の山に行きました。 自転車を押して登り、帰りには自転車に乗って降りたこともあります。 そのとき自転車が大きめの石に乗り上げて転倒しました。 背中を道路にこすられ怪我 (けが)しました。 幸い大したことなく済 (す)みました。 この平和台で春から初夏ごろに木の花と思われるものを見たことがあります。 小学生の
4 年生のころ宮崎市にある双石山 (ぼろいしやま)に父などと登りました。 国鉄の清武駅から歩いて双石山まで行く途中 (とちゅう)に池がありました。 山の尾根を歩いているときにキジバトの卵と思われるものを見つけました。 双石山の南側の加江田川 (かえだがわ)に沿 (そ)って林業のためのトロッコ鉄道がありそのレールのところに双石山から下山しました。 レール軌道を歩いて戻 (もど)りました。 登ってからは双石山を遠くから見るたびにそれまでより愛着を感じるようになりました。
<まとめ>
子供の頃 (ころ)山が近くにあると眺 (なが)める習慣が自然と身に付きます。 木の 1 つ 1 つが見える近くの山、薄 (う)っすらと見える遠くの山、夕焼けで紫峰となった山、低山でも雲が中腹にかかった山など楽しめます。