小戸神社、八幡神社(吉村八幡神社) (おど神社、はちまん神社、小戸保育所、小戸養心館)  (宮崎県宮崎市)







<標高、位置>  小戸神社(おど神社)は
標高 約数 m
 北緯31度54分49秒  東経131度24分29秒

<標高、位置>  八幡神社(はちまん神社、吉村八幡神社)は
標高 約数 m
 北緯31度54分48秒  東経131度26分13秒


 小戸神社(おど神社)は宮崎県宮崎市鶴島(つるのしま)3-93にあります。  説明板によると、
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時。



 八幡神社(吉村八幡神社)は宮崎県宮崎市吉村町宮脇甲2133番にあります。
 説明石碑(せきひ)によると、
今からおよそ500年前の文明8年(紀元2136年、西暦1476年)6月30日、大分県宇佐八幡宮へ日向守親しく御遷幸を勧請しこの地を卜(ぼく)し(占い定めること)御遷下があった。
主神に誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇)ほか2神を祭る。


写真A: 小戸神社(おどじんじゃ)の一の鳥居(とりい)。 見えている森が小戸神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。 鳥居の手前にも駐車場があります。 この車道を手前に行くと宮崎市役所があります。 小戸神社(おど神社)は宮崎県宮崎市鶴島(つるのしま)3-93にあります。



写真B: 小戸神社の鳥居、森、駐車場です。 左奥に小戸保育所、養心館道場(剣道場)があります。 小戸神社(おど神社)は宮崎県宮崎市鶴島(つるのしま)3-93にあります。



写真C: 小戸神社の周辺の地図。 上水流公園、第1駐車場、第2駐車場、第3駐車場、市営住宅、小戸保育所、養心館道場、社殿、社務所、大淀川などが載っています。



写真D: 小戸神社の一の鳥居(とりい)。 手前は駐車場。 右端に丸っこい石碑(せきひ)が見えます。 これは日向狂句を始めた目野清吉(目野丁勘切、ちょかんきり(宮崎弁で蜥蜴(トカゲ)のこと))の句碑です。 辞世の句である 「前の世じゃ 志こたま貯めた 男なり」とシャレコウベの絵が彫(ほ)られています。 目野清吉は1936年(昭和11年)に50歳で亡くなりました。



写真E: 小戸神社の鳥居。



写真F: 小戸神社の鳥居の左にある看板(かんばん)。



写真G: 緑の保全地区
地区名 小戸神社、面積 13,480 平方メートル、樹種 モミ、オガタマノキ等、指定番号 I-22 、指定年月日 平成19年3月22日、宮崎市
と書いてあります。



写真H: 大鳥居建設記念碑。 昭和35年7月20日建立。



写真I: 日向狂句を始めた目野清吉(目野丁勘切、ちょかんきり(宮崎弁で蜥蜴(トカゲ)のこと))の句碑です。 辞世の句である 「前の世じゃ 志こたま貯めた 男なり」とシャレコウベの図が彫(ほ)られています。 目野清吉は1936年(昭和11年)に50歳で亡くなりました。



写真J: 宮崎市鶴島にある小戸神社の参道。



写真K: 宮崎市鶴島にある小戸神社の参道。



写真L: 参道にドングリがたくさん落ちていました。



写真M: 参道の北側は下水流街区公園(しもずる街区公園)になっています。 左奥にトイレも見えます。



写真N: 参道の北側は下水流街区公園(しもずる街区公園)なっています。



写真O: 参道の北側は下水流街区公園(しもずる街区公園)になっています。



写真P: 参道の北側は下水流街区公園(しもずる街区公園)になっています。



写真Q: 参道の北側は下水流街区公園(しもずる街区公園)になっています。 高松橋記念碑(昭和7年2月建立)が見えています。



写真R: 参道の北側は下水流街区公園(しもずる街区公園)になっています。 そこにある高松橋記念碑(昭和7年2月建立)。



写真S: 小戸神社の北門にある鳥居(とりい)。 左はトイレ、右の建物は小戸神社社務所です。 小戸神社(おど神社)は宮崎県宮崎市鶴島(つるのしま)3-93にあります。



写真T: 小戸神社の社務所。



写真U: 小戸神社の境内(けいだい)。



写真V: 小戸神社の南側は大淀川の堤防(ていぼう)があります。 小戸神社、車祓(くるまはらい)所駐車場入口の看板(かんばん)があります。



写真W: 小戸神社(おど神社)は宮崎県宮崎市鶴島(つるのしま)3-93にあります。 建物は小戸保育所です。 手前は大淀川の左岸の堤防になっています。



写真X: 小戸神社の駐車場。 奥は小戸神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真Y: 小戸神社の駐車場と小戸保育所(右側)。



写真Z: 小戸神社のそばの堤防から見た景色。 東側に大淀川の天満橋が見えます。



写真AA: 小戸神社のそばの堤防から見た南側の景色。 河川敷(かせんじき)は公園になっていて、遊歩道、水路もあります。



写真AB: 小戸神社のそばの堤防から見た西側の景色。 対岸のマンションなども見えます。



写真AC: 小戸神社のそばの堤防から見た北西方向の景色。 高松橋も見えます。



写真AD: 小戸神社のそばの堤防から見た北西方向の景色。 高松橋も見えます。 右の森は小戸神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真AE: 大淀川の堤防から小戸神社側を見た様子。 森は小戸神社の鎮守の森。



写真AF: 大淀川の堤防から北側を見た様子。 中央奥に小戸神社の駐車場があります。 鳥居(とりい)も木の左に見えます。 右の建物は小戸保育所。



写真AG: 小戸神社の南門にある鳥居(とりい)。 左は養心館道場(剣道場)。



写真AH: 小戸神社の南側にある養心館道場(剣道場)。 剣道指南 「小戸養心館」。



写真AI: 小戸神社の境内(けいだい)。 左は神門。



写真AJ: 小戸神社の神門と塀(へい)。



写真AK: 小戸神社の塀(へい)。



写真AL: 小戸神社の南側の鳥居(とりい)。 駐車場の車も見えます。 左の建物は小戸保育所。



写真AM: 小戸神社の御手洗(みたらい、手水舎(ちょうずや))。



写真AN: 小戸神社の御手洗(みたらい)。



写真AO: 小戸神社の境内(けいだい)。 左の建物は社務所。 右に黒く小戸神社の説明板も見えます。



写真AP: 小戸神社の神門、石灯籠(いしどうろう)も見えます。



写真AQ: 宮崎市鶴島(つるのしま)にある小戸神社の神門。



写真AR: 小戸神社の境内(けいだい)。



写真AS: 小戸神社の境内(けいだい)。 南側の鳥居(とりい)も見えています。



写真AT: 「小戸神社の説明板」。
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時
と書かれています。



写真AU: 「小戸神社の説明板」。
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時
と書かれています。



写真AV: 「小戸神社の説明板」。
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時
と書かれています。



写真AW: 「小戸神社の説明板」。
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭    
例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時
と書かれています。



写真AX: 「小戸神社の説明板」。
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時
と書かれています。



写真AY: 「小戸神社の説明板」。
日向国 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神  伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀る
  主祭神 伊弉諾大神 (いざなぎのおおかみ)
  合祀祭神 天照皇大神、大己貴大神、素盞鳴大神、奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々。
 
 御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
  小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により  創建と伝わる。
  都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄 天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年) 西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
  しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
   と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
  寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
  明治維新後に「小戸神社」と改称。 昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
  実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。

掛けまくも畏き伊弉諾大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 御禊祓へ給ひし時に
 生り坐せる祓戸の大神等 
 諸々の禍事罪穢有らむをば
 祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
 恐み恐みも白す

伊弉諾大神が身禊をされた
 「小戸」の地に由緒深き詞である
 
 祓詞は奏上することによりおのずと
 罪穢れを祓い清める畏き詞として
 現在も日本全国の神社において
 必ず奏上されている

例祭 十月十五日
 夏越祭 七月二十五日・二十六日に近い土・日
月次祭 毎月十五日午前七時
と書かれています。



写真AZ: 宮崎市鶴島にある小戸神社の神門。



写真BA: 宮崎市鶴島にある小戸神社の神門。



写真BB: 小戸神社の神木「オガタマノキ」、石灯籠(いしどうろう)など。



写真BC: 小戸神社の神木「オガタマノキ」、石灯籠(いしどうろう)など。



写真BD: 宮崎市の小戸神社の境内。 右奥の建物は社務所。



写真BE: 宮崎市の小戸神社の境内。



写真BF: 「御協賛のお願い」の看板(かんばん)。
 当小戸神社の御社殿は戦前の昭和8年、現橘通りの拡張に伴い上野町より、現在地に移転造営されてより、戦中戦後の動乱期、さらには60有余年の歳月を経て銅板御屋根も老朽化し、損傷著しく祭事斎行にも支障をきたす現状でございます。
よって逐次御社殿屋根の葺(ふ)き替え工事を行い御神威の発揚とともに、賑々しい祭礼行事を通して地域社会に寄与するためにも、充実した施設に改め後世に守り伝えて行かねばならないと思います。
 つきましては、ご参拝の皆様方の真心かならなる御協賛を賜り御屋根葺き替えようの銅版の御奉納をお願い申し上げる次第でございます。
 銅板 1枚 3000円
なお御奉納銅板にはご芳名を謹書して神納いたします。 受付は神符守札所へお申し込みください。
と書いてあります。



写真BG: 「御協賛のお願い」の看板(かんばん)と銅板御屋根用材見本。
「加工後裏側に住所氏名を謹書し葺(ふ)きます。」と書いてあります。

 当小戸神社の御社殿は戦前の昭和8年、現橘通りの拡張に伴い上野町より、現在地に移転造営されてより、戦中戦後の動乱期、さらには60有余年の歳月を経て銅板御屋根も老朽化し、損傷著しく祭事斎行にも支障をきたす現状でございます。
よって逐次御社殿屋根の葺(ふ)き替え工事を行い御神威の発揚とともに、賑々しい祭礼行事を通して地域社会に寄与するためにも、充実した施設に改め後世に守り伝えて行かねばならないと思います。
 つきましては、ご参拝の皆様方の真心かならなる御協賛を賜り御屋根葺き替えようの銅版の御奉納をお願い申し上げる次第でございます。
 銅板 1枚 3000円
なお御奉納銅板にはご芳名を謹書して神納いたします。 受付は神符守札所へお申し込みください。
と書いてあります。



写真BH: 小戸神社の神門。



写真BI: 宮崎市の小戸神社の境内。 オガタマノキ、石灯籠(いしどうろう)も見えます。



写真BJ: 宮崎市の小戸神社の境内。



写真BK: 宮崎市にある小戸神社の神門。



写真BL: 小戸神社の神木(オガタマノキ)。 石の球(たま)が2つ根元に供(そな)えてあります。



写真BM: 小戸神社の神木(オガタマノキ)。



写真BN: 小戸神社の神木(オガタマノキ)。



写真BO: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真BP: 小戸神社の石灯籠。 右に神木オガタマノキの根元にある「石の玉」が見えます。



写真BQ: 小戸神社のオミクジを縛り付ける所。 四角の白いものがそれです。



写真BR: 宮崎市にある小戸神社の境内。 末社の紅白の鳥居(とりい)、おみくじを縛り付ける所も見えています。



写真BS: 宮崎市にある小戸神社の拝殿。



写真BT: 小戸神社の拝殿。 石の狛犬(こまいぬ)も見えます。



写真BU: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真BV: 御札焼き所。



写真BW: 宮崎市にある小戸神社の境内には招き猫、ホテイ様(布袋様、中国の禅僧で体は太っていて腹を露出し袋を担(かつ)いでいる。 日本では七福神の一つ)の像もあります。



写真BX: 宮崎市にある小戸神社の境内には招き猫、ホテイ様(布袋様、中国の禅僧で体は太っていて腹を露出し袋を担(かつ)いでいる。 日本では七福神の一つ)の像もあります。



写真BY: 宮崎市にある小戸神社の境内。 奥に大淀川の堤防が見えます。



写真BZ: 小戸神社の南側は大淀川の堤防になっています。



写真CA: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真CB: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真CC: 小戸神社の境内に紫カタバミの花(野草)が咲いていました。



写真CD: 宮崎市にある小戸神社の境内。 神社の塀(へい)が見えます。



写真CE: 宮崎市にある小戸神社の境内。 小屋には招き猫、ホテイ様の像があります。



写真CF: 小戸神社の社殿。



写真CG: 小戸神社の境内。



写真CH: 小戸神社の社殿。



写真CI: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真CJ: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真CK: 宮崎市にある小戸神社の境内。 神門、御札焼き所も見えています。



写真CL: 左奥にあるのが小戸神社の本殿。



写真CM: 小戸神社の拝殿。 奉納された酒樽(さかだる)もあります。



写真CN: 小戸神社の拝殿。 奉納された酒樽(さかだる)もあります。



写真CO: 小戸神社の狛犬(こまいぬ)。



写真CP: 小戸神社の狛犬(こまいぬ)。 境内の小砂利(じゃり)は ほうき目がたててあります。



写真CQ: 小戸神社の境内にある稲荷神社(いなり神社)と赤い鳥居(とりい)。



写真CR: 小戸神社の境内にある恵比須神社(えびす神社)と白い鳥居(とりい)。



写真CS: 寄付をした人々の名前板。



写真CT: 小戸神社の社務所。



写真CU: 小戸神社の社務所。



写真CV: 小戸神社の御札、お守り、破魔矢(はまや)等の売り場。



写真CW: 社務所から見た境内。



写真CX: 神門と絵馬を掛(か)ける所。



写真CY: 宮崎市にある小戸神社の境内。 神木オガタマノキ、右の棚(たな)は藤棚。



写真CZ: 小戸神社のフジと藤棚(ふじだな)。



写真DA: 宮崎市にある小戸神社の藤棚(ふじだな)。



写真DB: 左は「水神」。



写真DC: 小戸神社の境内にある「水神」。



写真DD: 小戸神社の末社。



写真DE: 小戸神社の絵馬を掛ける所。 一切厄掛、祈願絵馬と書いてあります。



写真DF: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真DG: 右は小戸神社の本殿。 左は拝殿。



写真DH: 小戸神社の本殿(右)と拝殿。



写真DI: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真DJ: 小戸神社の本殿(みぎ)と拝殿。



写真DK: 小戸神社の「小戸宮」と書かれた額(がく)、鈴、しめ縄、御幣(ごへい)等。



写真DL: 小戸神社。 お賽銭箱(おさいせんばこ)も見えます。



写真DM: 小戸神社のオミクジ売り機。



写真DN: 小戸神社。 奉納された酒樽(さかだる)も見えます。



写真DO: 小戸神社の屋根裏。



写真DP: 小戸神社の屋根裏。



写真DQ: 小戸神社のガク、鈴、灯明(とうみょう)、しめ縄、御幣(ごへい)。



写真DR: 小戸神社の中。



写真DS: 宮崎市にある小戸神社の境内。 オミクジを掛ける所も見えています。



写真DT: 宮崎市にある小戸神社の境内。 右はコマイヌ。



写真DU: 小戸神社のコマイヌ。



写真DV: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真DW: 宮崎市にある小戸神社の境内。



写真DX: 小戸神社。



写真DY: 奥の建物は社務所。 その手前は藤棚(ふじだな)。



写真DZ: 小戸神社の神門。 右はオガタマノキ。



写真EA: 小戸神社の神木。 「おがたまの木」の黒っぽい実がまとまって付いています。



写真EB: 小戸神社の神木。 おがたまの木。



写真EC: 小戸神社のオガタマノキ。



写真ED: 小戸神社の掲示板。



写真EE: 小戸神社の社務所(右)と神符守札授与所受付(ひだり)。



写真EF: 小戸神社の社務所。



写真EG: 小戸神社の東門の鳥居(とりい)が奥に見えます。



写真EH: 小戸神社の東側の鳥居(とりい、昭和35年7月20日建立)。



写真EI: 小戸神社の東駐車場。



写真EJ: 小戸神社の東側の駐車場。



写真EK: JR宮崎駅の南側にある「文化の森」。 この近くに八幡神社(はちまん神社)があります。



写真EL: 八幡神社(吉村八幡神社)は宮崎県宮崎市吉村町宮脇甲2133番にあります。 右に見えている森が八幡神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。 これはバス停(文化の森)です。 宮崎中央公園のそばにあります。 この車道は大島通線です。



写真EM: 八幡神社(吉村八幡神社)は宮崎県宮崎市吉村町宮脇甲2133番にあります。 見えている森が八幡神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。 この車道は大島通線です。



写真EN: 文化の森近くの車道。



写真EO: 八幡神社に行くにはこの十字路を左先(東)に曲がります。 この角には宮崎信用金庫(吉村支店)があります。



写真EP: 八幡神社へはこの道を進み突き当たって左に曲がります。 先の角には長嶺内科クリニックがあります。



写真EQ: 突き当たりの鳥居(とりい)のあるところが八幡神社。 森は八幡神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真ER: 八幡神社(吉村八幡神社)は宮崎県宮崎市吉村町宮脇甲2133番にあります。 鳥居は昭和7年1月15日建立。



写真ES: 宮崎市にある八幡神社(はちまん神社)。



写真ET: 八幡神社。



写真EU: 八幡神社の前の車道。 先(東)に進むと吉村町大町に行きます。



写真EV: 宮崎市にある八幡神社の「神楽殿(かぐらでん)」。



写真EW: 「奉納 八幡神社」と書かれた幟(のぼり)。



写真EX: 八幡神社行事の看板(かんばん)。
元旦祭 1月1日、建国記念日 2月11日、春神楽祭 3月末の日曜日、夏祭り 7月、十五夜例祭 旧8月15日、七五三祭り 11月15日、新嘗祭(にいなめさい) 11月23日、大祓祭 12月31日
と書いてあります。



写真EY: 八幡神社(吉村八幡神社)の鳥居(とりい、昭和7年1月15日建立)。 八幡神社(吉村八幡神社)は宮崎県宮崎市吉村町宮脇甲2133番にあります。



写真EZ: 八幡神社の鳥居。



写真FA: 八幡神社の入り口。



写真FB: 宮崎市にある「八幡神社」。



写真FC: 八幡神社の御祈願受付の看板。
安産、初宮詣(はつみやもうで)、厄祓、学業祈願、車祓い、家内安全、商売繁盛、その他諸祈願
厄年(数え年)
女大厄 19歳、33歳、37歳
男大厄 25歳、42歳、61歳
と書いてあります。



写真FD: 宮崎市の八幡神社の石灯籠(いしどうろう、大正7年7月建立)、手水舎(ちょうずや)も見えています。



写真FE: 八幡神社の石灯籠(いしどうろう、大正7年7月建立)。 奥に赤い鳥居(とりい)も見えます。



写真FF: 宮崎市にある八幡神社の「神社改築記念碑(平成3年建立)」。



写真FG: 八幡神社の神主さんの家と思われます。



写真FH: 宮崎県宮崎市吉村町にある八幡神社(はちまん神社)。



写真FI: 宮崎市にある八幡神社。 右の建物は神楽殿(かぐらでん)。



写真FJ: 宮崎市吉村町にある八幡神社の手水舎(ちょうずや)、石碑(せきひ)、左の建物は神楽殿(かぐらでん)。



写真FK: 宮崎市の八幡神社の鳥居(昭和7年1月15日建立)、石灯籠(いしどうろう、大正7年7月建立)、石碑など。



写真FL: 境内から見た鳥居(とりい)。



写真FM: 八幡神社の説明の石碑。
今からおよそ500年前の文明8年(紀元2136年、西暦1476年)6月30日、大分県宇佐八幡宮へ日向守親しく御遷幸を勧請しこの地を卜(ぼく)し(占い定めること)御遷下があった。
主神に誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇)ほか2神を祭る
昭和56年11月吉日建立
と彫(ほ)られています。



写真FN: 八幡神社の説明の石碑。
今からおよそ500年前の文明8年(紀元2136年、西暦1476年)6月30日、大分県宇佐八幡宮へ日向守親しく御遷幸を勧請しこの地を卜(ぼく)し(占い定めること)御遷下があった。
主神に誉田別命(ほむたわけのみこと、応神天皇)ほか2神を祭る
昭和56年11月吉日建立
と彫(ほ)られています。



写真FO: 宮崎市の八幡神社の御手洗(みたらい)。 上に緑色の網が掛けてありました。



写真FP: 八幡神社の御手洗(みたらい)。 上に緑色の網(あみ)が掛けてありました。 御幣(ごへい)も綱(つな)に付けてあります。



写真FQ: 鳥居改築記念碑(昭和7年1月15日建立)。



写真FR: 八幡神社の鳥居と石灯籠など。



写真FS: 石灯籠(いしどうろう、大正7年7月建立)。



写真FT: 宮崎市にある八幡神社(はちまん神社)の境内(けいだい)。



写真FU: 宮崎県宮崎市吉村町にある「八幡神社(はちまん神社)」。



写真FV: 八幡神社の石碑と寄付金をした人たちの名前板。



写真FW: 寄付金をした人たちの名前板。



写真FX: 宮崎市にある八幡神社(はちまん神社)の境内(けいだい)。



写真FY: 宮崎市にある八幡神社(はちまん神社)の境内(けいだい)。



写真FZ: 宮崎市にある八幡神社(はちまん神社)の境内(けいだい)。 赤い鳥居と神主さんの住居。



写真GA: 八幡神社の拝殿。



写真GB: 宮崎市にある八幡神社(はちまん神社)の境内(けいだい)。 右の建物は神楽殿。



写真GC: 宮崎市吉村町にある八幡神社の神楽殿(かぐらでん)と石碑(せきひ)。



写真GD: 吉村町八幡神社の掲示板と緑の保全地区の看板(かんばん)。



写真GE: 「緑の保全地区」の看板。
地区名 八幡神社、面積 2,459平方メートル、樹種 スギ、クスノキなど、指定番号 I-14 、指定年月日 平成16年4月1日、宮崎市
と書いてあります。



写真GF: 宮崎市吉村町の八幡神社の赤い鳥居。



写真GG: 吉村八幡神社の末社。



写真GH: 八幡神社の末社。



写真GI: 宮崎市の八幡神社の拝殿(右)と本殿。



写真GJ: 八幡神社の拝殿。



写真GK: 八幡神社の拝殿。



写真GL: 宮崎市の八幡神社の石のコマイヌ。



写真GM: 宮崎市吉村町にある八幡神社。



写真GN: 八幡神社の境内(けいだい)。



写真GO: 八幡神社の拝殿と神楽殿。



写真GP: 八幡神社の境内(けいだい)。



写真GQ: 宮崎市吉村町にある八幡神社の境内(けいだい)。



写真GR: 八幡神社の神楽殿(かぐらでん)。



写真GS: 宮崎市吉村町にある八幡神社の「神楽殿(かぐらでん)」。



写真GT: 八幡神社の末社とシロアリの石碑(せきひ)。
石碑には「しろありよ 安らかに眠れ 昭和59年9月1日」と書いてあります。 これはシロアリ駆除関係の団体が建立したもの。



写真GU: 八幡神社の境内。



写真GV: 石碑には「しろありよ 安らかに眠れ 昭和59年9月1日」と書いてあります。 これはシロアリ駆除関係の団体が建立したもの。



写真GW: 境内には古い石碑もありました。



写真GX: 八幡神社の境内には杉林もあります。



写真GY: 宮崎市にある八幡神社の境内には杉林もあります。



写真GZ: 八幡神社の境内。 右は神楽殿。



写真HA: 八幡神社の境内。 古井戸、シロアリの石碑、末社も見えます。



写真HB: 宮崎市吉村町にある八幡神社の本殿(右)。 左は拝殿。



写真HC: 八幡神社の境内。



写真HD: 八幡神社の本殿の下部。



写真HE: 八幡神社の本殿(右)と拝殿。



写真HF: 八幡神社の本殿の脇(わき)。



写真HG: 八幡神社の境内。 右の赤い社(やしろ)は末社。



写真HH: 八幡神社の本殿。



写真HI: 八幡神社の本殿の下部。



写真HJ: 八幡神社の境内。



写真HK: 八幡神社の本殿(左)と拝殿。



写真HL: 八幡神社の本殿の屋根。 ウサギの木像も見えます。



写真HM: 本殿の屋根の下には「兎(うさぎ)の木像」があります。



写真HN: 宮崎市の八幡神社。 「八幡神社」と書かれた額(がく)、鈴、幕(まく)も見えています。



写真HO: 八幡神社。



写真HP: 八幡神社の中。 白馬の額(がく)もあります。



写真HQ: 八幡神社の中。



写真HR: 八幡神社の中。



写真HS: 八幡神社の拝殿。



写真HT: 八幡神社。 お賽銭箱(おさいせんばこ)、オミクジの機械も見えます。



写真HU: 宮崎市吉村町にある八幡神社。



写真HV: 宮崎市の八幡神社。



写真HW: 八幡神社。 木彫りがあります。



写真HX: 八幡神社の境内から見た鳥居(とりい)。



写真HY: 八幡神社(吉村八幡神社)は宮崎県宮崎市吉村町宮脇甲2133番にあります。 これはその森と塀(へい)です。 この入り口からも境内(けいだい)に入れます。



写真HZ: 八幡神社の前の様子。 先に進むと吉村町大町に行きます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)