近年の家庭電器、進歩がゆっくりになった、昭和時代の家庭電器の進歩は速かった、戦後の家庭電器について(多機能化は老人には使いにくい、AI (人工知能)の家庭電器への導入、現代生活から電気製品を除 (のぞ)けば エジプト時代とほぼ同じになる)







「戦後まもなく」

子供の頃(ころ)は
洗濯板で母苦労
掃除は箒(ほうき)でコタツは炭(すみ)で


「家庭電器」

力仕事から
母を助けた電気洗濯機
夏を涼しく扇風機


「母は」

クーラーについに慣(な)れずに
扇風機
それでも結構(けっこう)満足の



 <はじめに>
 近年の家庭電器の進歩はゆっくりになりました。 昭和時代の家庭電器の進歩は速かった。 昭和時代や平成時代の前半には電気炊飯器 (すいはんき)や電気コタツ、電気蓄音機、蛍光灯、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ、電気アイロン、電気トースター、オーブントースター、トランジスタラジオ、電気カミソリ、ヘアードライヤー、電卓、テープレコーダー、カラーテレビ、電気掃除機 (そうじき)、換気扇、電気温水器、エコキュート、電気ポット、エアコン、オーディオ (テープレコーダー、CD、MD、ICレコーダーなど。)、ビデオレコーダー、トランシーバー (送受信機)、携帯オーディオ (ウォークマンなど。)、インターホン、水晶時計、電気式置き時計、電池式壁掛時計、電池式腕時計、電気式温度計、電気式湿度計、電子レンジ、電気鍋 (なべ)、IH (インダクションヒーター)加熱、自動皿洗い機、デジタルカメラ、太陽電池、太陽光発電パネル、薄型テレビ、電波時計、ウォシュレットなどが広く使われるようになりました。  国民の願いが 「3C」 と言われたカラーテレビ、クーラー、電気製品ではありませんがカー (自動車)を所有することと言われた頃 (ころ) (1970年代)もありました。 エジプト学の著名人が現代の生活から電気製品をなくせば、ほぼ古代エジプト時代の生活になる、古代エジプト時代にはアイシャドウもすでにあったことを述 (の)べていました。 それほど家庭電器は国民の生活を便利にしたり豊かにしました。


 私は現在後期高齢者ですが、私が小学生の頃、父が家に電気蓄音機 (電蓄)を買ってから今までのラジオより格段に音質がよくなり、SP盤やドーナツ盤、LP盤、ソノシートなどのレコードで音楽を楽しめるようになりました。 電蓄でラジオ放送を聞くときに周波数の同調具合 (ぐあい)を知ることができる緑色に輝 (かがや)くマジックアイが印象的でした。 大きなスピーカーにも圧倒されました。 初めて我が家で使った蛍光灯は蛍光灯スタンドでした。 教師をしていた父が卒業生からの贈り物としてもらったもので、白色電球の色とかなり異なるなあと思いました。 電気炊飯器はそれまで竈 (かまど)で薪 (まき)を燃 (も)やして炊 (た)いていた米をスイッチ 1 つで炊き上げるようになりました。 それまでの薪の火力の調整などの技術は必要なくなりました。 電気コタツはそれまでの炭を燃やすコタツから手軽に暖房できるようになりました。 電気洗濯機の脱水はゴム製の 2 つの円筒形ローラーの間に洗った衣類を挟 (はさ)んでハンドルを回して動かし、衣類の水を搾 (しぼ)り取るようになっていました。 衣類のボタンがそのときに千切 (ちぎ)れないように、ボタンは衣類の内側になるようにして挟んでいました。 冷蔵庫はそれまでは買った大きな氷を入れて内部を冷やすものでした。 電気冷蔵庫になって、小さな角氷 (かくごおり)も作れ嬉 (うれ)しかった。 初めて白黒テレビを見たのは、小学校の下級生の頃 (ころ)公会堂で展示会があり、そこに学校から集団で行って、それを見ました。 また、父が妹と私を東京に連れて行ったときに、広場にテレビを置いてあり高校野球の試合を放映しているのを大勢の人たちといっしょに見ました (昭和 30 年)。 宮崎市ではっきりとテレビを見られるようになったのは、近くの鰐塚山 (わにづかやま)の山頂にテレビの送信アンテナが建 (た)ってからです。 それは私が中学生になったころでした。 我が家のテレビは 14 インチブラウン管の東芝製のもので足が 4 本付いた台がありました。 電気アイロンは母が使い始めました。 トランジスタラジオを買ったのは大学 1 年のときでした。 今のパナソニック社の前身のナショナル社製で私が約 50 歳の頃 (ころ)まで使えました。 長期間使えました。 真空管式のラジオは時々、真空管を新品のものと交換する必要がありましたが、トランジスタ式ラジオは交換しなくても OK となり、ありがたかった。 カラーテレビは新婚時代に買いました。 真空管を 1 本も使ってないオールトランジスタ式のものを選んで買いました。 日立社製のキドカラーというもので 14 インチのカラーブラウン管を使ったものでした。 価格は約 10 万円でした。 当時の 10 万円は今の 50 万円ぐらいでしょう。 初めに買ったテープレコーダーはオープンリールのものでソニー社製でした。 私が約 30 歳のときでした。 エアコンは私が 30 歳代で購入しました。 初期の頃は暖房は付いてなく、クーラーのみのものでした。 電源のオンオフや風量の調節はリモコンではなく、本体から垂 (た)れた紐 (ひも)を引いて行いました。 電子レンジは約 40 歳の頃から使い始めました。 デジタルカメラは私は 50 歳代から使っています。
 近年の新しい家庭電器はどのようなものがあるでしょうか、スマートフォン (スマホ)やロボット式の掃除機 (そうじき)、LEDランプ、薄型テレビ (メガネをかけて見る立体テレビは一時多く電気屋さんに置いてありましたが、今は見かけなくなりました。)、電気自動車 (EV、普及 (ふきゅう)はこれから進むでしょう。)、スマートフォンはそれまでのデジタルカメラやビデオレコーダー、携帯オーディオ、時計、通話する携帯電話、インターネットを利用するパソコン、虫眼鏡 (むしめがね、カメラで撮 (と)って拡大して表示する。 視覚障害者なども利用している。)、懐中電灯 (かいちゅうでんとう)、携帯地図帳、運転するときのナビ (ナビゲーション)、ゲーム機、キャッシュカード (支払い。)、携帯ラジオ、携帯テレビ、新聞 (ニュースなど。)などの機能を持っています。 スマートフォン (スマホ)の日本のメーカーはFujitsu (富士通)やソニー、京セラは残っていますが、他のメーカーは外国資本のものになったり、撤退 (てったい)したりしました。 2021 年の調査では世界のスマートフォンの全世界での販売数は 1 位が韓国のサムスンで 2 位がアメリカのアップル、3 位と4 位、5 位は中国のメーカーとなっています。 日本のメーカーはもっと下位です。 あの日本の有名メーカーである東芝も現在多額の外国資本が導入されています。 ある意味寂 (さび)しいことです。 日本のメーカーは外国製品と差別化するために家庭電器の多機能化を進めているように思われますが、多機能化は若い人には良くても、老人には使いにくいかもしれません。 これらの内、青色LEDやリチウムイオン電池などに関して日本からノーベル賞受賞者がでました。


 <まとめ>
 家庭電器について私が子供の頃 (ころ)から見たり聞いたりしたことなどを述 (の)べました。 私が生きてきた時代は生活の変化が大変大きく面白 (おもしろ)い時代でした。 これからは変化が緩 (ゆる)やかになるのでしょうか、それともAI (人工知能)などの進歩で世の中の様子 (ようす)が大きく変化するのでしょうか。 私は長生きしてそれを見たいと思っています。



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「宮崎観光情報、山「観光地 in 宮崎」 by 南陽彰悟[橋詩人]

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by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)